| サミラ・マフマルバフ インタビュー No.2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| Q.この物語はどこまで事実に基づいているのですか?
この物語は事実とフィクションの間にあります。密輸すること、家を失うこと、そして生き抜くための努力といったことは、全て事実です。精神的なダメージを受けた女性(ハラレ)の役柄については、夫を殺してしまった実在の女性に基づいて役を考えました。私は女優をその女性のところに連れてゆき、本人から演技のヒントを得させるようにしました。弟のメイサムはこの映画のメイキングを撮っていますが、それを見るとこのハラレの役が私の創造と女優の演技によって出来上がっていることがわかるはずです。 Q.この映画が隠喩するものは何でしょうか。 私は自分の無意識を映画に意識的に持ちこもうとは思いません。しかしながら、この映画は全体として、一つの隠喩であると言えます。私は自分の物語を地に足のついた状態に、つまりリアルなものにしようと試みました。しかし、現実のリアリティと芸術的な虚構が融合するところに隠喩が始まり、詩的なコンセプトを生み出したのです。私は詩の解釈者ではありませんが、あらゆる芸術品の詩的な表面 に驚かされます。その芸術品が手製の机や椅子や黒板であってさえもです。隠喩を発見したり、それを解釈したりするのは観客や批評家たちです。「どうしてこの映画には女性が一人しか出てこないのに、大勢の男たちが出てくるのか?」と聞かれても、私には答が見つけられません。私の中の何かがそうさせたのです。 Q.俳優はプロの俳優ですか、それとも前作のように普通 の人々なのですか? 2人の例外を除いては、映画が撮られた地域に住む普通の人々です。例外の一人はハラレを演じたベヘナーズ・ジャファリで、彼女はテレビや映画で活躍する才能ある若い女優です。もう一人の例外はレブアルという教師を演じたバフマン・ゴバディで、彼は若い映画監督です。他にも最初は、ハラレの父親の老人役にプロの俳優を考えていました。しかし、私としては最大に努力したにも関らず、彼の演技のスタイルはその他の人々と合いませんでした。私は他のキャストと合わない俳優を使いたくなかったのですが、その一方、彼を役から降ろすこともできませんでした。彼の感情を害するのではないかと思ったのです。私は芸術的な決定と人間性の問題との狭間に立往生しました。しかしある日、その俳優は私にこう言ったのです――「何をそんなに遠慮してるんだ? 私は降りるよ。誰かこの役に合う人を探せばいい」と。私はこのアーティストの高貴さにいまだに感動しています。彼の演技と他の人々の演技とをうまく組み合わせ、彼の演技を周囲と同じように見せる演出力が私にあったら、と思います。残念ながら、私にはその力がありませんでした。 Q.『ブラックボード −背負う人−』はクルド語の映画です。あなたはクルド語が話せるのですか? 幸いにもクルディスタンではペルシア語とクルド語が話されています。俳優たちは私とはペルシア語で話しますが、俳優どうしの間ではクルド語で話します。彼らを演出する時、彼らを理解するために、彼らの表現に特に注意を払いました。撮影中に私は多くのクルド語を学んだので、今では少なくとも映画で話されている言葉は全て理解できます。サイードという教師を演じたサイード・モハマディは、最初クルド語のコンサルタントとしてこの映画に参加したのですが、結果 的に主役の一人となったのです。 |
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