![]() (C)1989 松竹富士 |
CAST |
| INTRODUCTION |
| 若者の圧倒的な支持を受け、そのキャラクターに絶大な共感を呼んでいるビートたけしが、自ら初めてメガホンを取り、彼の魅力をふんだんに見せる『その男、凶暴につき』――。これは、やくざに雇われた1人のヒットマンを、執拗に追う刑事の生き様を鮮烈に描いたハードボイル・ドラマだ。 かつての、“過激性”を売りものにしたタレントたちが優等生化してしまった今でも、依然としてアブナイ存在である彼が、あえて“凶暴性”をテーマとした作品を撮ることについて、彼はこう言う。 ──本物の暴力の怖さっていうのは、拳銃ぶっ放してドンパチすることじゃない。テーブルの上の食器を投げ合うような、日常的に内在するところにあるはずなんだ── 大犯罪組織に敢然と立ち向かう重装備の刑事、豪快なカーチェイス、画面いっぱいに広がる火の海・・・ 見せかけの派手さだけで暴力性を表現することが普通になっている今にあって、ビートたけしはこれらと一線を画そうとする。 ──事件の大きさばかりに気をとられていると、どうしても無理が出てくる。 “たいした事件じゃないんだけど”ってものを扱った方が、かえって緊張感がでてくるんだ。ひとごとじゃなくなるからな。どんな凶悪犯が出てきたって、そいつの心理を描くには、なるべくシャープに作っていかないとぶれちまう。 本物の暴力のリアリティが映画というメディアでどう描かれるか、彼がTVでみせるキャラクターとはまた別の、ハードな生き様を選んだ男を演じる彼の魅力がどう浮かびあがってくるか、大いに注目されるところだ。 そして“凶暴性”とは別に、この映画で描かれるもう一つのテーマは“愛”である。ビートたけし演じる我妻のたった一人の妹・灯への悲しくも、せつない思い、そして親友・岩城との友情──。それぞれへの思いは、一つの犯罪により脆くも崩れてしまい、彼を激情に走らせる。その過程をビートたけし独特のナイーブさでじっくりと描いていく。〈戦メリ〉での演技、ラジオのもつ臨場感を強烈に際立たせる話術、テレビで見せる即興性、メディアの特性を否定することから始まる彼の持つ破壊力は、今回の監督業でも健在だ。例えばキャストはすべてオーディションによって選ばれており、あえて“らしい”人は外されていった。彼のキャスティング・センスは、登場人物達のピュアな演技で証明されることだろう。またロケハンの合間にも、アイデアを連発し、その一つ一つを咀嚼して演出へフィードバックさせるという、地道な仕事にも挑戦している。映画のフレームを超えたところにも、彼の映画づくりの姿勢が現れている。 また音楽はエリック・サティの曲が使われ、画面の激しさとは裏腹な透明感に満ちたメロディが、我妻の孤独感を際立たせている。 |
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<パンフレットより>
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| STORY |
| 内なる凶暴な声に自ら恐れつつも、突き進む一人の刑事。組織を嫌い、組織からは疎まれる一匹狼には、 その無垢な表情とは裏腹に、いつもかすかな血の臭いが漂う・・・・・。 人工的な美しさを夜の海面に写し出すウォーターフロント。その美しさとは相反するように、倉庫裏の淀んだ闇の中には浮浪者が影のように浮かび上がる。その浮浪者をとり囲む数人の少年たち。彼らはやがて木刀や鉄パイプを振りおろす。そして少年たちをみつめる一人の男……。 その男、我妻諒介、39歳。職業、刑事。男は、主犯格の少年のあとをつけ自宅に押し入り、殴る蹴るの暴行を働いたのち、少年を無理矢理自首させる。すべてにおいてそんな調子の我妻は、所内でも異端視される存在だった。 ある日、一隻の釣り船で惨殺死体が発見された。男は麻薬売人の柄本。捜査を進める我妻は、その糸をたぐり寄せていくうち、青年実業家・仁藤と、我妻の親友であり、防犯課係長でもある岩城にたどり着く。自分がガンで長くないと知った岩城は、生まれてくる子供のために金が必要で、押収したヤクを横流ししていたのだ。そして岩城は口封じのため、自殺とみせかけられてあっけなく死んでゆく。 そしてもう一人の同僚・本間は、上司の指示する通りに、ピストルの安全装置をはずさずにいたばかりに、 生ける屍になってしまうのだった。 二人の友人を事もなげに闇に葬り去ろうとする警察、そして麻薬犯罪組織の首領・仁藤と、その傘下にある殺人鬼・清弘への狂気にも似た我妻の怒り。腐り切った組織に対して、我妻は自らの凶暴さで戦う以外なかった。 |